生まれたままのかっこうをした、できたての音楽
〜神尾憲一のCD「Nukumori No Nakade」について〜


音楽評論家 林田直樹


巷には、厚化粧し、流行のスタイルで完全武装した、デジタルな添加物バリバリの音楽があふれている。それはそれで楽しいものだけれど、たまには、ほんとうに手作りの、シンプルな音楽もいいものだ。
それは例えば、日頃ほとんどデジタルな文字しか目にしなくなっている中で、たまに肉筆の字で葉書などをもらったりすると、少々下手でもすごくうれしかったりするのと似ている。
作曲家・神尾憲一さんがピアノ・ソロで即興演奏をしたCD「Nukumori No Nakade」は、まったく作為なく、手書きの日記のように作られた音楽である。

ちっちゃな声でささやいたり、熱く語り始めたり。
止まりそうになったり、また走り出したり。
考え込んだり、急に笑い出したり。
泣きそうになったり、晴れ晴れしてきたり。

神尾さんのこのCDで一番すごいのは、飾らないけど、ぐっと人を惹きつけることのできる親しみやすい単旋律や単音が、無造作にあちこちに放り出されていることだ。そこから先、つまり聴き手の想像力のなかで無限に広がっていきそうな、こんなに可能性のあるシンプルな音楽が、ピアノひとつで日記みたいに弾けるだなんて、何て素敵なんだろう!

これら日常的な表情をもった曲たちは、楽譜なしの即興演奏で、しかも修正なしのワンテイク(一発録り)なのだという。飾ったアレンジも何もなく、感興のおもむくままに弾いた、まさに生まれたてのほやほやの音楽なのである。
だから、名前などついていない。ネット上で公開されたこれらの曲たちは、公募によって名前が付けられている。神尾さんは、それらの公募を見ながら、「へえ〜。こんな聴かれ方をされてるんだね」とさかんに面白がりながら、曲名を選んでいったのだ。

即興演奏のピアノというと、キース・ジャレットや加古隆を連想する向きもあるかもしれない。だが、神尾さんのピアノはもっと気取らず、親しみやすく、さりげない。しいて言うなら、「誰かと一緒にいる感じがする、あったかい音楽」。あるいは、「気の置けない友達とか、かわいいペットがそばにいるような感じのする音楽」である。

神尾さんに実際に会ってみた。ニーノ・ロータの映画音楽の異化的な手法、あるいは英国の大作曲家ヴォーン=ウィリアムズの変人ぶりについて教えてくださったり、太宰治の戯曲やつかこうへいの芝居の話で盛り上がったり、とても楽しい時間だったけれど、やはり作曲家独特のセンシティヴさもすごく感じられたし、音楽への熱いエネルギーを秘めている人だとすぐにわかった。
修行時代にはラウンジでピアノを弾いたり、プロになってからはミュージカル、芝居や映画の音楽を数多く手がけてきた神尾さんは、特に“場の空気を作る”ということにすごく敏感になったのだという。
確かに、音が作り出す“場の空気”の効果というのは、非常にダイレクトである。例えば、どんなに怖いホラー映画でも、音を消してしまえば、ほとんど怖くなくなるし、どんなに華麗な打ち上げ花火も、大音響がなければ盛り上がらないだろう。
そういう意味では、作曲家というのは、泣かせたり元気付けたり、音で人の気持ちを動かす能力を持っている人種なのだ。神尾さんは、そういうこともじゅうぶん意識しつつ、あらゆるジャンルの音楽語法を自分のものとして、引き出しの中にそろえていた。
その引き出しをあえて使わず、素のままの、生まれたばかりの飾らない音楽をあえてCDにして世に問うという姿勢は、もしかすると、とてつもない自信の裏返しなのかもしれない……。

「音って、耳があるから聴いているわけじゃないですよね。だって、自分のシチュエーションに人生の劇伴音楽って勝手に流れているじゃないですか」
と最後に神尾さんは言った。確かに、実際に音は聞こえていなくとも、頭の中で音楽の断片は浮かんでは消えていく。音楽は、心の中での情動的な現象なのだ。

 日常生活のなかで、私たちを取り巻くあらゆる音たちは、かなりの部分、デジタル化され管理されている。でも、ほんとうの、心を豊かにする音楽は、やっぱり人の手から生まれていなければいけない。神尾さんのCDから聴こえてくる“できたての音楽”を聴いていると、そんな思いはますます強くなってくる。

 いま、「夢の階段」と名づけられたCDの9曲目が、私の大のお気に入りである。すっかりこの曲は心の中に棲みついてしまい、音楽がかかっていないときでも私を虜にしている。きっと、この曲とは長くつきあっていくと思うし、自分の日常をちょっと豊かにしてくれた――そう思っている。
(林田直樹)
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